マクロ経済の変動をどの様に説明するか


IRを行っていると、企業活動には大きな変化が起こっていないにもかかわらず、マクロ経済や株式市場の動向によって、株価が大きく変動することがあります。自社の状況に変化がない、あるいは影響を掴みきれない状態で、影響の大きさについて質問されても難しいと感じるかもしれませんが、その様な時に投資家とどの様な対話を行うかを考えておくことは重要です。

説明すべきは、自社の株価が適正かではなく、自社と他社の差を明確に意識して、市場全体との違いを説明する事です。株価は長期的には将来キャッシュフローの現在価値に収束するとしても、短期的な株価は様々な要因で変動します。自社の株価の動きは当然気になるものですが、短期的な株価が上下する要因は基本的に「業績」や「将来性」だけではありません。

まずは、機関投資家(運用機関)の投資行動から少しその要因を考えてみます。機関投資家の投資行動は、どの企業の株式を売買するかを決める以前に、①そもそも株式という資産を増やすか、あるいは減らすのかというアセットアロケーション(資産配分)、②運用資金が増えているのか減っているのかを示す「マネーフロー」により大きな影響を受けます。例えば経済が不安定になり、顧客からお金が入って来なくなり、解約が出たりすることで機関投資家のマネーフローが打撃を受ければ、どんなに株価が割安であっても、株式を買うことはできなくなります。一般に「○○危機」「××ショック」などと言われるような事態になるとマネーフローが止まってしまうため、個別企業の投資判断とは無関係に株式を売却することがあります。また、アセットアロケーションの観点から株式への投資を増やすか減らすかは、実際に株式を運用しているファンドマネージャーの判断ではなく、アセットアロケーター(資産配分を決定する人または部門)の判断やファンドの特性によって決まります。つまり、機関投資家の投資行動の相当部分は、個別企業に対する判断とは無関係なアセットアロケーションとマネーフローによって決まっているということになります。また、需給関係によって株式市場自体のボラティリティ(一定期間における価格の変動性)が高まると、個別企業の株価変動が大きくなると共にリスクが高まっているとして資産配分を削減する対象となる事もあります。つまり株価は自社の努力だけではどうにもならない部分があります。したがって、短期的な自社の株価の上下に一喜一憂し、保有額が大きい機関投資家が一部売却しても動揺する必要はありません。なぜ、自社の株価が上昇・下落しているのかという要因をしっかり掴んだ上で、本業に集中していればよいのです。ただし、自社の株価変動(株価の下落)が同業他社や市場全体と比べて大きい場合には、何か特別な要因がある可能性があります。その場合には、原因を確認し、改善を図る、あるいは説明をしっかりと行って、投資家の誤解を解く必要があります。

企業は投資家を選べないという話がありますが、欧米の長期投資家が選ぶ企業にはいくつかの特性があります。ここでは、マクロ変動に伴う、企業の株価変動率の抑制が長期投資家を呼びこむことについて説明します。株価の変動率が大きく出やすい理由の1つとして、自社のビジネスモデル(業績)がマクロ経済の影響を受けやすいということがあります。また、日本の株式市場には長期投資家が少なく、短期投資家が多いと言われています。これは、日本の株式市場自体が比較的マクロ経済の影響を受けやすく、個別企業での市場連動性の高い企業が多いため、長期投資家が投資を行い難い市場である結果という側面もあるのです。

日本企業の中でも、海外の長期投資家の投資を受けている企業の多くは、単にROEや営業利益率などが高いというだけでなく、「株価の変動が小さい」という特徴があります。逆に言うと、長期投資家は業績が短期的に悪化する局面でも文字通り「長期的な視点」で株式の保有を継続する傾向が強いことから、それが株価の変動を抑えることにもつながります。すなわち、海外の長期投資家の投資を受けている企業においては、株価変動の小ささが企業の保有構造を安定(=長期投資家の増加)させ、そのことがさらなる株価の安定化につながるという“好循環”が存在しているわけです。

つまり、株価を安定させるためには、自社の株主構成を(短期的な投機家ではなく)中長期的な視点で企業価値に着目し、長期的に株式を保有してくれる優良な投資家中心にする必要があり、そのためには結局は株価変動を抑える必要があるということになります。そのためにも、マクロ経済変動の影響を受けやすいとされている日本市場において、自社の特性をしっかりと説明をし、少しでもその影響を抑えていく努力が必要です。

では、株価変動を抑えるために、企業は何をすればいいのでしょうか。もっとも重要なのは、投資家が過度に「不確実性」を意識し疑心暗鬼になることを避けることです。そのためには、まず企業自身が、マクロ経済が自社の将来業績に与える影響を冷静に見極め、それを投資家に説明する必要があります。市場が大きく混乱している時に、たとえまだ影響が出ていなかったとしても、「現時点では影響が出ていません」という説明は不適切といえます。機関投資家は「過去の業績変動」などを踏まえて将来予想を行っており、仮に現状では業績の動向に大きな変化が見られなかったとしても、今後影響が出て来ることを“過去の経験則”を踏まえて投資判断に織り込みます。したがって、企業が「影響は出ていない」と言っても、それによって機関投資家が自らの投資判断を見直すことはしません。むしろ、「過去の例からすると今後大きな影響が出て来ることは避けられないのに、まだそのための対策が何らとられていないのか」といったネガティブな評価をされることもあります。

もっとも、IR担当者としては、事実としてまだ影響の出ていない中で、「影響が出る可能性がある」と言って投資家の不安を煽るわけにもいかないでしょう。このような場合には、IRが行うべきなのは、機関投資家が想定しそうなシナリオをいくつか用意し、シナリオごとに、収益へのインパクトについて“ヒント”を与えていくことです。
ここでいうヒントは、それほど厳密なものである必要はありません。例えば、為替の変動が業績に大きな影響を及ぼす企業の場合、業績予想の際に「1円の変動で業績にどれくらいの額の影響が出るか」を明らかにしているケースも多いと思いますが、それに加え、「前回の円高局面の際には、ドル建て調達の比率が〇%程度でしたが、現在は○○%になっています」、あるいは「為替の変動リスクの高まりに備えて、今回はヘッジ期間を△ヶ月にまで伸ばしています」といった説明をするわけです。機関投資家に対しては1から10まで説明する必要はなく、「ここまで言えば、あとは自分で分析できますよね?」という程度の情報提供で十分です。つまり、ここでは何の約束もありませんし、事実に基づく解説を行っているだけなのですが、投資家から見ると不確実性が低下すると共に、企業の危機管理能力についての信頼感を高めることにつながります。

特に、機関投資家は過去の事例を参考に将来予想を行う傾向が強いため、もし過去とは収益構造が変化し、機関投資家の予想とは異なる予想をしているのであれば、IRミーティングの場を設け、過去の収益構造との違いを説明しておく必要があります。特に過去との違いに関する「定性的な(数字で表すことができない)マクロ情報」は機関投資家に喜ばれます。エコノミストなどが行うマクロ予想とは異なり、企業の“肌感覚”としての情報は、機関投資家にとっては有用な情報なのです。また、このような情報提供を行うことで、機関投資家からは「環境の変化を独自の方法でとらえ、対応しようとしている企業」との評価を受けることにもつながります。

もっとも、投資家に対して収益構造の変化を伝えたところで、企業の株価の変動特性が簡単に変わるわけではありません。これは、投資家はマクロ経済変動の影響を過去の“経験則”からとらえており、企業の説明を受けただけで、企業が主張する業績へのインパクトを全て自らの投資判断に織り込むことはしないからです。実際、企業側の説明が正しいとは限りません。企業としては収益構造を変えたはずでも、想定していないような部分にインパクトが出てしまい、予想と結果が異なることも多いはずです。投資家が保守的になるのもその様な事実の蓄積があるからです。

また、定性的な判断を入れずに機械的に投資判断を行うファンド(クオンツファンドなど)では過去の経験則のみが反映され、企業の構造変化を織り込むことはできません。したがって、企業側が収益構造の変化やそれに伴う収益インパクトの変化について説明したとしても、企業が期待するほど株価の変動を抑えることは難しいのです。

しかしながら、企業が行った説明が無駄になるわけではありません。投資家は必ず、「企業の説明」と「その結果」の整合性を事後的にチェックします。したがって、マクロ経済の変動局面で企業が誠意を持って投資家に情報を開示し、説明を行っておくと、それは数回のマクロ経済の変動局面を経て「投資家の経験則」となり、株価に反映されていくことになります。換言すれば、企業のIR活動の効果も、短期ではなく長期で見ていく必要があるということです。

また、説明しっぱなしではなく、「振り返り」を行うことも重要です。マクロ経済の変動局面で企業が当初投資家に説明した予想とは異なる結果が出るということはよくある話であり、そのこと自体は投資家にとっても想定済と言えます。重要なのは、予想が違った場合に「振り返り」を行い、今後との対応方針を説明することです。それをどこまでしっかりやってくれるのかによって、企業に対する投資家の評価は全く異なったものになります。

逆に、言いっぱなしで振り返りがない企業の予想は信頼をなくすことになります。しっかりとした振り返りができてこそ、投資家は「企業はその経験を次に活かすはずである」と考えるからです。このような企業の取組みは、投資家にとっての「不透明要因」を減少させ、資本コストの低下につながります。

市場が不安定になる局面は、実は経営トップを含めIRに関わる人達にとって“腕の見せ所”であり、市場にアピールするチャンスなのです。




 

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